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Praha Diary

プラハの風景はこちらを覗いてみて下さい。


8/9 晴れ

香港からロンドン経由で約17時間かけてプラハに着いた。今年のヨーロッパの夏は
記録的な暑さとは聞いていたけど、日差しは強烈、気温も35度。ガイドブックに
載っていたプラハの市バスに乗り込み、一路プラハ市内へ。ディヴィツカー地下鉄駅から
メトロ(地下鉄)に乗り換え、ムステク駅へ。ムステク駅からはモルダウを橋でこえて
滞在予定のホテルにいくこととなっている。スメタナの傑作「我が祖国」のモルダウの
イメージが強烈でどんな川だろうと、橋に近付くにしたがって心がドキドキしました。
チェコ人のための劇場といわれる国民劇場を過ぎるといよいよモルダウ。

「あれ?」眼前にあるモルダウは比較的川幅があってあの旋律のような小川のような
雰囲気とは全然違う。水自体は決して汚いようでは無いけれど少々淀んでいる。
しかし右手にはプラハ城、あちらこちらに教会や聖堂が見えてきて、夢にまでみた
プラハが今ここにある。政治的な理由でチェコを離れた大指揮者クーベリークのことを
ふと思い出した。人それぞれにとって祖国への想いは異なるでしょうけど、これほど美しい街を
離れたのはクーベリーク自身相当の意志をもって政府に抗したのでしょう。ビロード革命で
民主化されたチェコにクーベリークが再び祖国へもとったときの感慨は想像に難くないです。

さてホテル に荷物をおいてしばしプラハの街を歩く。どこをみても本当に歴史が脈々と
刻み込まれているようだ。鋪装された道などほとんどなく、石畳。クラシックコンサートの勧誘も
あちこちで見られる。オペラ“ドンジョヴァンニ”、モーツァルトのレクイエムにロックの要素を
組み入れた”ロックイエム“などはあの有名なスメタナ・ホールで行われる。カレル橋近くにある
フランシス教会でオーボエ、オルガン、アルトのコンサートが今晩あるというので、早速チケットを
買い求めた。カレル橋をこえると聖ニコラス教会がある。そこではモーツァルトのレクイエムが
今晩演奏される。副題をみて驚いた、「広島と長崎の被爆者に捧げる」と。日本人ですら
率直なところ記憶が薄れつつある原爆について、遠く離れたプラハではこんな演奏会が
開かれているいるのは、やはり長年辛い歴史を強いられたチェコの人たちが戦争の加害者・被害者の
垣根をこえて戦争に寄る一般市民として同じ視線で広島・長崎を見ているのだろうと思う。


今年の夏はヨーロッパ全土で記録的な猛暑。プラハも強烈な暑さで連日35度を超えている。
暑さに耐えかねてホテルに戻るが、何しろふだんの夏は暑いといってもクーラーを必要と
しない程度のため、ヨーロッパでエアコンを備えているホテルや住居は実に少ない。
滞在先のホテルは3星なんですけど、やはりエアコンなし。シャワーを浴び、しばらく休憩してから
プラハ城にむかう。本来いわゆる観光地というところには興味がないのですが、今回は別。
なぜかというとプラハ城付近になかなか良いCD屋があるときいたから(またかい、と僕を
知っている人は頷いていることでしょう・・・)。

とても急な坂を登りきったところにCDmusic という店がある。
決して大きな店ではないけれど、チェコ物のCDが相当充実している。
この店の店員もそうだけど、チェコの店員は実に親切で朗らかな人が多い。この店はインターネットでの
注文も受けているのだけど、話によると一番注文が多いのは日本人だとか。商品が充実しているのも
そうなんですが、とにかくチェコのブランドの商品がとても安い。普通で1000〜1200円、
バーゲンだと300〜400円だから、郵送料負担しても注文するのが理解できる。スメタナのことや
モルダウ(ヴルタヴァ)のこと、プラハのことなど、いろんな話をした。モルダウについて僕が
見た印象とスメタナの作品との印象があまりが違う、と言ったら、店員はおもむろに地図を書き出し、
「君がみたヴルタヴァはスメタナが描いたヴルタヴァの位置が違う。ここからブルノの方角に向かって
それから云々・・・。そこは小さな川の流れが集まってくるところで、二本のフルートが幾重もの
せせらぎを表しているんだ」。そして「スメタナが亡くなったあと、堤防を作ったりで水深が
1m浅くなったんで、川の色がすっかり変わったそうなんだ」と。プラハの町並みについては、
数百年前のプラハの風景画が書かれた店のカレンダーを持ち出し、「えっとここはほとんど
変わっていない。ここもね。あ、ここは少し新しいビルが建ったから変わったかも」などと、
決していやみなどでも誇らしげに街の様子を語ってくれた。「つまり今君が見たプラハの姿は、
モーツァルトやドヴォルジャーク、スメタナ、スーク、そしてマーラーが見たプラハとほとんど
同じなんだよ。今では馬車の蹄の音が車のクラクションに変わったけどね。そう僕の家も
15〜16世紀頃に建てられたもんなんだ」。

CD屋をあとにして今晩のコンサート会場であるフランシス教会へ。会場に入るとこれまたびっくり。
17世紀初めに建てられた教会、モーツァルトがここで作曲しこの教会でオルガンを弾いたそうだ。
つまりモーツァルトが聞いた同じ音をここでは実感できるのだ。非常に音響の優れた教会でバッハや
マルチェロ、ドヴォルジャークの小品が天上から舞い降りてきたかのような感覚を味わい、非常に堪能できた。
明日は我が祖国でも有名なヴィシェフラードに。あれ?また観光地?と思われるだろうがもっと
大きな目的がそこにはあるんです。

8/10 晴れ
今年のヨーロッパの猛暑は記録的とのことで、ヴァチカンのヨハネ・パウロ2世が雨乞いのお祈りをするほど。
本当に暑いです、連日。気温だけだったら香港の方がまし。プラハもとんでもない暑さで
すっかり日焼けをしてしまいました。そんな暑いチェコ、午前中は共産主義博物館に行ってきました。
チェコの歴史はまさしく被支配の歴史。20世紀はナチにそしてソヴィエトに弄ばれながらも
チェコ国民の自由を求める心がようやく実ったのは今からたった10数年前。この博物館は決して
大規模なものではないですが、戦中戦後からビロード革命までのチェコの姿を当時の写真や
プロパガンタのポスターなどで詳しく紹介されています。とりわけ印象的で吐き気すら催す写真、
それは占領下のチェコでヒトラーが満足そうな顔でプラハ城からプラハの街を眺めている1コマ。
20世紀チェコの歴史の歯車はこの愚かな男に翻弄されたのは言うまでもありません。1968年の
プラハの春で自由を唱え囚われの身となった詩人ハヴェルは現在チェコの大統領。そしてソ連の侵攻を
抗議して自ら焼死したヤン・パラフは今自由の象徴として今なおチェコの人々から尊敬されている。
自由は与えられるものではなく闘ってかちとるものだ、とバーンスタインが語っていたが、
まさしくその通りだと思う。ハヴェル、そしてパラフ以前に祖国チェコが共産化されたことに
抗議した一人の偉大な指揮者、ラファエル・クーベリーク。
彼をたずねてヴィシェフラードに向かった。

ヴィシェフラードはスメタナの最高傑作「我が祖国」の1曲目。ハープが奏でる吟遊詩人の調べが
実に印象的である。地下鉄でヴィシェフラード駅を降りて徒歩でヴィシェフラードに向かったが
全く場所が分からず、ついに犬の散歩をしているチェコ人のおばさんにチェコ語で「えっと、あの、
ヴィシェ、ヴィシェ、ヴィシェフラードに行きたいのですが」と聞いてみると、「・・・・・・・・」と。
んー全くわからない。そうですよね、質問しても相手の答えがわからきゃ、チェコ語で聞く意味がない。
どうやらまっすぐ行って突き当たりを左に曲がると世界共通語ボディーランゲージで言っているらしい。
指示どおりほとんど人が通っていない通りを10分ほど歩くと、突然聖ペトロ聖パウロ教会が見えた。
そこからはクーベリークがビロード革命後、40年ぶりに祖国に戻りプラハの春音楽祭で演奏された
「我が祖国」を聞きながら、城壁横の急な階段を一段一段ふみしめるように登った。
プラハに来て今回どうしても訪れたかったのが、彼の墓参り
彼の墓はヴィシェフラード墓地の墓番号1番。アルフォンス・ムシャと父ヤン・クーベリークと同じ墓碑、
となりには作家カフカがまつられている。手持ちのペットボトルの水を墓碑にかけて軽く拭きあげた。
40数年祖国を離れたクーベリークだが今はこうやってチェコ時代栄光時代の象徴である
ヴィシェフラードで永遠の眠りを父とともに過ごしている。今の彼は今さぞかし幸せだろう。
クーベリークの墓の斜め向かいにはスメタナが、少々離れた右手にはドヴォルジャークが葬られている。
今頃クーベリークは彼等と音楽談義をしているにちがいない?


8/11 晴れ

今日も晴天、いい天気。しかしちょっと寂しいのは今日がプラハ最後の夜。
前にも書きましたがいわゆる観光地ってとこにはほとんど興味がないぼくなので、
ガイドブックを見て、「あっ、あそこに行かなくちゃ!」ってのがほとんどない。
僕の楽しみ方は行った先の街の何気ない風景、スーパーマーケットや市場、地下鉄やバスに乗って
そこで生きている人たちの雰囲気を味わうことです。今回プラハでは空港でもらった
ポケットマップだけを頼りに街を歩いた。もちろんある程度の地理勘とか街のことを知るために
「地球の歩き方」は買ったけど、結局ホテルにおいたままだった。

そんなわけで今日は行くあてもよく分からないトラム(路面電車)に乗ってみた。
終点まで行けばどうせこのトラムは同じところ辺りには戻るだろう、
そんな感覚でいたら、昨日までウロウロしていた街からどんどん遠くなって
いき、観光客らしき人も殆どいないところに着いた。どうやら僕が持って
いるプラハ市街地のエリアを越えたもよう。名も知らぬ小さな教会の
青銅色の鐘が夕方五時の時を知らせる。道行く人たちには当たり前に感じる
ことが、ぼくにとってはとても新鮮。香港でも教会やセントラル(中環)
では時を刻む鐘の音はきこえるけど、プラハで聞く鐘の音は全く違う。
おそらく数百年前からこの鐘は人々に時を知らせたのであろう。

ブラブラとしてさっき降りた駅とは違うところで再びトラムに乗り込む。
今度は市の中心部に入り、見なれた光景に戻ってきた。またあても無く駅を降り
歩いていくと、急に観光客の人だかりに紛れ込んでしまった。するとここは旧市街地。
ティーン教会が、天文時計がフス像が。おー、観光地!ってところ。
確かに非常に壮観で見応えのある町並み。しかしあまりの人の数で何枚か写真を撮ったあと、
早々に退散してしまった。前回のマグマグで書いたパラフが焼身自殺したところにふと行きたくなって、
旧市街地からヴァーツラフ広場に向かった。

ここは1989年のヴィロード革命の中心となったところ。パラフ没後30年を
追悼するため集まった市民・学生が自由と政権交代を要求して大きな
抗議行動を行った現在の自由チェコの発祥地とも言える場所。急な坂道を
登ると、パナフの墓碑があった。彼の死が決して無駄でなかったという
ことを歴史が語ってくれたも思うと感慨もひとしおである。未だ共産主義
国家チェコだったら、ぼくはおそらくこの地を訪れなかっただろうし、
学生時代ヨーロッパを旅した時も、共産主義国家には一つも訪れなかった。
今、背中に中国という巨大な共産主義国家をかかえる香港にぼくは
住んでいるが、どうしても共産主義国家にはアレルギーを感じる。
もう夜の8時というのに、まだまだ外は明るい。サマータイム中なので、
本来は7時なんだけど、それにしても陽が落ちるのが恐ろしく遅い。
ヴァーツラフ広場をあとにして、一旦ホテルに戻った。

昨日まで同じホテル近くの小さな地元レストランで食事をしていたが、
今夜は違うレストランに入った。結構大きなレストランだが、客のほとんどが
地元の人たち。そこでチェコの代表的な料理「ヴェプショー、クネドリーキ、
ザウアークラフト」を注文した。ローストポークを煮込んだものと、
ドイツ料理でも出て来るキャベツの甘酢、それとあげたパンといたって
シンプルなものだが、なかなかボリュームがあって、とにかく美味しい。
これがたったの85crk(約350円)だから、驚くばかり。レストランを
出ると既に10時をまわっていた。

右手にプラハ城、左手にヴィシェフラードを眺めながら、あっと言う間の
プラハの旅は終わりはちかづいた。あまり多くはない土産と数百円で
仕入れたたくさんのスプラフォンのCDを鞄に詰め込み、デジカメで撮った
写真を整理していると0時を過ぎていた。


8/12 晴れ

すばらしい思い出をあとにロンドンへ飛び立とうとしたが、プラハ空港にて思いがけないことを
経験した。ロンドンに向かう英国航空機がエンジントラブルで、伸び伸びの延期なのだ。
2時間ほど待たされたあと、機内から予定されていた昼食、飲み物などが、待ち合い室で配られた。
それとほぼ同時期、数人の警官と航空警備隊がやってきた。一人はワゴンを運んでいて、それを
見てみると”BOMB SQUAD”、つまり爆発物処理班と。周囲に立ち入り禁止のロープがかけられ、
我々に現場に離れるよう指示。金属探知機か爆弾探知機かのようなもので、椅子の上におかれた
不審物と思われるスーツケースを丹念に調べている。しばらくして鞄が開けられたが、どうやら何も
無かった様子。飛行機を待っている我々から拍手がおこった。暫くして小太りのサラリーマン風の男が
やっと忘れ物を見つけた、って様子でその鞄を持ち上げた時、今度は一斉にブーイング。

そんなことがあって1時間ほどたった15時、点検修理をしていた機体でのロンドン行きをなんと
フライトをキャンセルするとの放送が流れる。全員待合室から出され、パスポートコントロールを
経てチェックイン貨物を引き取り、再び英国航空の空港カウンターに並ぶ羽目に。
それから何の連絡も無くひたすら新たにチェックインをする列に待つこととなった。

2時間ほどたった17時半ごろ、職員が小さな紙を配り出した。
一人づつに事情説明をしたが職員の話だと、「代替の飛行機が今、プラハに
向かっている。到着時間は未定だが、おそらくプラハを出発するのは21頃。」
「到着時間が遅くなってヒースローから市内に移動できない場合、どうするのか?明朝のフライトは
あるのか?その場合ホテル代は英国航空が払うのか?」など質問してみた。「ヒースローから移動する
経費については、ヒースローで相談してほしい。明朝のフライトを選択した場合、ホテル代は支払うが、
朝の便の席を確約することはできない」との返事。配られた小さな紙は、空港内で無料で食事をする券
だった。周りの人に聞いてみると、今晩の便帰る人や明朝の便にする人などそれぞれ。長い行列が
あっという間に散らばっていった。一方この連絡があった約1時間後にロンドンに向かう18:50発の
英国航空の便があったため、一か八か並んでみた。ぼくと同じように諦めずに並んだのは7人。
前にいた若い中国系イギリス人カップルが時々カウンターに空席状況を確認するがどうやら満席。
18時を過ぎても状況が変わらない。そして18時20分、つまり出発30分前でカウンターの
終了時間になった時、急に発券の準備をするからとの連絡。しかし何席空いているかは全く
知らせてくれない。そしてまず2席、そして1席、最後にそのカップル分の2席で完全に満席となった。
僕のすぐ前のイギリス人奥様に「どうします?」と訊ねると「もう少し待ってみましょうよ」と。
ぼくも「飛行機が飛ぶ時間まで待っていましょうか」と答えた。 

英国航空が飛び立つ時間が刻々とせまってきた。カウンターの人に聞いても
「もう席はありません」の返事。どうせ夜の便に乗るために、カウンターに
並ぶならこのままいてよう、とイギリス人婦人と世間話をしながら並んで
いると、また急にカウンターの女性が他の職員を指差し「あの彼女について
いって下さい」。何事かと不審に思いながら、ついていった先はチェコ航空の
カウンターだった。「英国航空のボーディングパスとパスポートを拝見。
手荷物は?荷物は預けますか?」と。そして訳の分からぬままチェコ航空の
ボーディングパスが発券された。僕達の様子に気がついた数人が僕達の後に
ついて並び出した。フライト時刻はとっくに過ぎていたのに、どうやら出発が
遅れているらしい。急いで再び出国カウンターに並んだ。チケットを見ると、
なんとビジネスクラス!前に並んでいた婦人もビジネスクラスだった。
出国手続きをすまし急いでチェコ航空の出発口に向かった。するとまだ
搭乗していない人がたくさんいてて、やはり出発が遅れているようだ。
機内に乗り込み、座席番号を見るとACL。何しろビジネスに乗るには
はじめてなので、こんな席番もあるのかなとでも思いながらフライト
アテンダントに聞いてみると、「こんな席ないですよ」と。「じゃ、これって
コクピット?」と冗談を言ってみると「あれ?あなたって今日のフライトの
パイロットだったかしら?」なんてなかなかの受け答え。まぁいずれ
なんとかなるか、と空いているビジネス席に座っていると、とても美人
なんだけど、いかにも冷たそうな別の若いフライトアテンダントが表情一つ
かえずに「こんな席はない。ここから出て、もう一度発券しなおしなさい」と、
いかにもこちらが悪いとでも言いたいような口振り。飛行機に乗り込む際、
ぼくのあとに並んでいた人もこの飛行機に乗れたのだから、席がない
わけがない。イギリス人婦人も僕と一緒に強烈に抗議してくれたため、
ようやくこの冷たい美人は確認のため、機外で出た。15分頃して今度は
別のベテランフライトアテンダント風の女性がやってきて、「英国航空から
乗り換えのお客さんでビジネスの席は用意していない」とのたまった。
実際先ほどから何度も登場しているイギリス人婦人にはちゃんとビジネス
シートが用意されており、席の表示は正しい。そしてチケットランキングも
僕のと同じe-ticket。結局エコノミー席しか空いていないと、なんとも官僚的な
いい加減な答えが帰ってきた。ここまでやっとのことでチケットをとって、最後に
ゴチャゴチャ言われて乗り過ごしするのもバカバカしかったので、ある程度今までの経緯を
説明した上で、エコノミー席に座ることにした。そしてようやく離陸をし、
ロンドンのヒースロー空港に着いたのは7時間遅れの20時過ぎだった。
荷物カウンターで待っている間、僕の後ろに並んだイギリス人男性に聞いてみると
結局ぼくを含めチェコ航空に乗り換えできたのは8人だったそうだ。
実はロンドン到着後プロムスのコンサートに行く予定だったが(香港からネットで
チケットを予約済)、今回の件でムローヴァ&ダニエル・ハーディングの
演奏会を聞くことができなかったのは残念だったが、お金を出しても
なかなか経験できないようなことが1日でいろいろ起こったため、
違った意味で印象的な旅行になったと良いように解釈している。



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